nekolog

ITベンチャーで広報の立ち上げをやっています。当ブログに記載されている内容は個人の考えであり、所属先の公式な見解を表すものではありません。

まもなく歳をとります(31歳の振り返り)

あっという間にまた3月が来てしまい、まもなく31歳が終わってしまいます。ここ数年はこの区切りにブログを書くようにしているので、今の気持ちを残しておこうと思います。

 

自己コントロールのドライブ要素になった「内省」

なりたい自分を実現させるため、自己コントロールをしたい、と掲げ、この1年を過ごしてきました。どうありたいかを頭で考え、できないことへ対策を立てたり、他のできている人からやり方を学んだりしようとしました。

でもお恥ずかしながら結局、頭で無理に考えるだけでは行動には繋がりにくかったという認識でいます。昨年前半は会社の動きも激しかったこともあり、広報として配慮ポイントに目を配り球を拾うだけで精一杯。会社の動きがひと段落した後も、コントロールを意識するものの身体の動きは悪く、それだけでなく心の中で、これでいいのかと常にもやもやして動けなくなるばかり。前半はボールを拾うために動いていただけまだマシ、という感じになっていました。

その転機になったのは今年に入ってからでした。業務の一環で、業務レコーディングや気持ちの記録を強化してからです。

 

自分の呪縛であった、他人との比較をやめる

自己理解の過程で、自分が「人に価値を決めてもらう」志向が強すぎることにやっと気がつきました。自分の行動を制限し、自分が息苦しくなるほどにこの志向が強いことで、生きづらさを増していると自覚が持てました。なかなか理解が深まらないコミュニティ(広報職の理解が少ない場所)にいればなおさらです。でも、所属しているところの広報職理解とかの問題でなく、自分で自分の首を絞めていたのだと思います。

よく思い出せば、新卒の頃からこういう傾向は強くありました。10年近く経っても相変わらずということでもあるのですが、、ようやく向き合えた気がします。

まだまだ人と比較してしまう癖はあります。周りの人がみんな輝いて見えるし、みんな羨ましいです。羨ましさのあまり、自分の頭だけが回転し身体は何もできないことも多いです。ほんと無駄だとわかってます。。でも、そのことを自覚できただけ、対処の仕方を考えられるため、一歩踏み出したと思っています。

 

記録することで、自覚が深まりコンテンツにもなる

そして、昨年秋くらいからひっそりつけていたTumblr。短文、書き殴り、とりとめなし、雑多、バックデート大ありですがおよそ3日に1回くらいのペースで記録が残せています。

noooncha.tumblr.com

 

これまで、記録に残したくても(このはてなブログを書きたくても)ハードルが高くなかなか動けずにいましたが、この癖がついてとりあえず記録だけは残っていき、その雑多な記録を再編集してブログを書くという方法が編み出せたのはひとつ発見でした。考えているいろいろが頭の中でぐるぐるしては、気がつかないうちに溶けて消えて、そしてそれがもったいなくても、どこかでその気持ちも溶けて消えて。どうしたらいいかしばらくわからなかったのですが、雑でもまず記録することで、自覚として長い間情報が使えるようになり、コンテンツになっていく感覚を持つことができました。

(そういう意味でTumblrは記録しやすいユーザー体験だなあと。この辺はいつかブログに書きたい。あと、私は人の目があると発信しにくくなるので、ほどよく人目についていない感じがする、PVとかがわかりにくいツールだったのもよかったかもとも思います)


さらに、2月に広報LT大会でLT発表をさせていただけたことも大きな学びになりました。色々な奇跡が重なり発表することになって、その時のテーマもどちらかというと私が得意とする分野で。すごく好条件(自分が踏ん切りつけられる、勇気を出せる)だからこそやれたことだと今でも思います。そして、発信したことで、やっぱり、発信しないとわかってもらえないなということが腹落ちしました。結局は、発信の勇気を持てるかどうかという自分の問題でした。なら、自分が踏ん切りつけられる発信をもっともっと積み重ねていかないと、踏ん切りつけられる環境を自分で整えないと、なのだと。奇跡を待つだけでは、きっとこれまでと変わらないのだと、思うようになりました。

 

「変わりたい」本気度が試されている

30代が見えてきた3年前くらいから、いずれ来る自分の終わりを意識してきたのですが、ようやっと駅の終点が見えても冷静なまま電車に乗れている気持ちです。まだ死なない予定だけど笑、「納得がいく」人生の乗りこなし方を「自分で引き寄せる」やり方がわかるようになってきたというか。

32歳間近にもなって、正直、上に書いたようなことに気づくのは遅いなあと感じています。内省型で自分と向き合ってきた割には。後悔という気持ちとは少し違いますが、何で気づかなかったんだろうという悔しさはあります。

これからは、今の自分を突破していきたいという本気度が試されていると思っています。あとはもう、やるしかない。続けた先にしか道はない。自分という器を乗りこなし、なりたい姿に向かって、どれだけ本気で続けるか。有象無象の人で終わりたくない。有名になりたいわけじゃないけど、付き合ってつまんない人と思われたくない、「あの人誰だっけ?」で終わりたくない、です。最近、自分より若くて活躍している人も周りにたくさんいて、尊敬もそうですが羨ましさや焦りもたくさんあります。まあこれも、一種の比較なんですけどね汗。

 

32歳の目標。自分を認め、新しい世界を見る

自分という器に向き合って、自分への呪縛を解いて。そして発信への捉え方の変化があって。結果的には、自分の価値観が60度くらいは変わる年でした。頭の中ではこの変化をしばらく前から望んでいたので、だいぶ時間はかかったという認識だけど、、

 

自分をコントロールする手法が少しずつわかってきたのもそうですが、自分の価値(求められていること)もようやく少しだけわかってきた気がするこの頃です。もしかして、コンテンツを一定ロジカルに記録し発信することはできるのかもしれない、と感じています。苦手をマシにする方法とか、そのプロセスの明確化とか。まだこの辺はトライ&エラーもできてないので今年の目標です。生きて感じていることぜんぶコンテンツかもしれない、ということを最近感じています。

あとは、広報としても業界に少しずつ何かを残せるように、動いていきたい。第一歩として、PR Table Communityのボランティアスタッフをやることにしました。正直、自分のことや変化の糸口がわかったこのタイミングだからこそ、挙手できたと思う。ここで広報やPRの考えを深めるとともに、自分が貢献できる側面を見つけたい。社内調整とか経営サポートとか、この辺り割と生々しくやってきたと思っているから、もっと語れるように知識をつけたいな。

※今年の11/27にあるPRのカンファレンス含めた活動については以下から発信されるとのことです!

PR Table Community (@PRTC_181127) on Twitter

 

そして自分の乗りこなし方も、まだまだわかったつもりになっているかもしれないので、もうちょっと知っておきたいです。

 

上述とは全く重ならないところでは、「表現者」への憧れが出てきていて。私自身はモノをつくるスキルはないし、黒子として誰かを引き立てる方が向いている自覚はあるけど(昨年のこの時期のブログに同様のことが書いてあった)、表現者として活躍している人を横で見ていてやっぱり表現への憧れを捨てられないと気づきました。かといって何を表現するのかはぶっちゃけ、何も見えてません。発信を増やしたら何か見えるかな。こう思うようになったのは、歌を習い始めたのもあるのかもなー。黒子ではいられない、久し振りの自己表現です。声量(腹式呼吸)が目下の課題、、

 

そんな私ですが、32歳も引き続きよろしくお願い申し上げます。今年以上の学びを得て、きちんとコンテンツにしてアウトプットする1年にしたいと思うので、ぜひお付き合いください。。!

 

最後に、Facebookでつながっている皆様へ

Twitterでもぜひつながってください!

最近(今更ながら)Twitterで気持ちや学びをつぶやくようにしています。今まではbotのようにひっそり、気づいたことをメモがわりに垂れ流していたのですが(前述の通り、自分の考えを広く知人に発信するのが怖かったので)、一部の仲良くしてくださっている方とつながったら、コミュニケーションが生まれてとても楽しくなってきたので。今まではFacebookに寄せていたのですが、twitterの距離広いけど離れすぎない感じもいいなと思い、もっと全方位でお近づきになれたら嬉しいなと、、! ぜひご検討のほど、よろしくお願い申し上げます。

アカウントはこちらです〜