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ITベンチャーで広報の立ち上げをやっています。当ブログに記載されている内容は個人の考えであり、所属先の公式な見解を表すものではありません。

70年後の「平和宣言」

気がついたら8月。毎週アウトプットするという宣言を早々に破ってしまいました。というのも、年をとったなーって思ったことが多くて、そのことを投稿しようとしたのですが、うまくまとめられなかったのに加え、そう思ったささいなきっかけが思い出せなかったりして(年をとったから?笑)時間がなかったのもあり、下書きで寝かせてしまっておりました。。この週末、カフェで隣に座っていた推定20代前半女子2人の会話を聞いて、改めて年をとったことを痛感したので、早いうちにまとめたいです。

 

さて、8月といえば、広島県人としては忘れられない8/6という日をまもなく迎えます。今年は忙しくしていたせいもあって、実はあんまり実感がなかったです(忘れはしないまでも、どんどん気にかける確率が減ってきている気がする。よくない。。)。そんな矢先、さきほど放送していた広島の原爆に関する以下番組に釘付けになりました。

 

NNNドキュメント「平和宣言~ヒロシマは語る~」[字]|番組表|日本テレビ

 

たった1時間ほどの番組ですが、なんだか突き動かされるものを感じ、記録に残したくて。

 

平和宣言の必要性を感じ、はじめたのは被爆から2年後。当時は「原爆」という一言を入れるのにも命がけで(アメリカの言論統制上にあったため)、遺書まで残していたそうです。

そして平和宣言を作るにあたって、草案作成者一人が自分の思いで考えるのではなくて、被爆者の方をはじめ、様々な人が関わっていて練りに練りに練り上げるものであることも知りました。

当時は今ほど発信するツールもなかったはずで、さらに皆が傷ついていているからこそ、その気持ちを鎮め、正しく意図を代弁できるように尽力されていたんだなと気付かされました。

私が生まれる前からあって、8/6に当たり前のように開催されていた平和記念式典、そして平和宣言。何もないところからこのような宣言を行うようになり、どんどん進化し、歴史が積み上がっていることの素晴らしさを感じました。今年68回目というのが、いかにすごいことか。それを見て育った我々が今、戦争や平和や原爆に対して大きな危機意識を持てていることも、先人たちが切り拓いてきた歴史の賜物に他なりません。

 

既存の価値観に新しい価値観をもってくる、というのは、もちろん規模は違えど今私がやっていることでもあります。平和宣言作成時に多くの人の気持ちを慮っているのを見て自分を省みました。私の中には目指したい像がありますが、自分の思いだけで進み過ぎていなかっただろうか。理解が得られなくて苦しかったからといって独りになっていなかったか、と。新しい価値観によって何がもたらされるのかをもう少し提示しなければ。。

 

8/6、年をとるごとに違う気づきがあります。そろそろ私も、社会の中で自分が何をできるのかを考えていかなければいけないなと。

この番組は以下で再放送があるそうなので、ご興味ありましたらぜひご覧ください。